電車の中で女の子ふたりが話していて、片方のこが
「つけまだと盛れるから」
「でもつけまだと盛れるしー」
「つけまは盛れるんだよね」
と、「つけまだと盛れる」ってことを何回も言っていた。
なんだろう勧誘とかなのかなあって思っちゃうくらいに言っていた。
「目がくっきりする」とか「安いし。でもまつエクしたい」とも言っていたんだけど、
「つけまだと盛れる」だけが何度も何度も繰り返されていた。
あまりにも繰り返されてるので盛れることが重要なのかなあと思ったんだけど、そうじゃない気もする。「目がくっきりする」「安い」のほうが、ゴールというか、言いたいことなのかなあと。
繰り返してそれが重要なんだってことを印象づける方法は、そんなに一般的でないのかもしれない。
でも言語によるのかな。英語だと繰り返して印象づけることがメソッドになっているような気がする。Steve Jobsはkeynoteで“incredible”って単語を多用していた気がするし、Obamaは“Yes, we can”だし(キャンペーンってこともあるだろうけど)、Steve Ballmerは“Developers, developers, developers…”だ。
日本語だと、繰り返しってすこし敬遠されているような気もしなくもない。主語はしょるし、コンテキストに依存させるし、繰り返しというか、明示することをあまり美徳としていないような。歌とかだとそうでもないか。でも繰り返されるものも「良い歌」とは思われてないかもしれないけど。
どうなんだろう。とりあえずつけまだと盛れるらしいよ。
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